先輩の声
一人ひとりの可能性の扉をひらく
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SPCへの入会前の状況
SPC GLOBAL関西統括本部の第16代会長を務めさせていただいた亀谷です。私の経験が、多少なりともお役にたてればと思います。どうぞよろしくお願いします。
私にとって理美容業界に入る原点は、実家の理容室だったのですが、忙しく働く親は家庭サービスなどとは無縁でして、子供の頃はむしろ家業を継ぐのはイヤだなというような気持ちが少なからずありました。そういう気持ちは進路を決める時期になっても変わりませんでしたし、一人暮らしに憧れていたこともあって、大学進学を目指したのですが、見事に受験に失敗しまして(笑)。浪人はしないという父との約束で2代目を継ぐことになったのです。
そんな感じで何といいますか流されるに任せる形で、大阪で7年間修業させてもらった後、和歌山の実家に帰って父の理容室を手伝いました。しかし、そんな感じの意欲も何もなくただお客さんが来れば仕事をする、来なければボーっと過ごすという状態で…よく田舎の散髪屋さんがタバコをすってスポーツ新聞を読んでいるのを見たことがあるかもしれませんが、まさにそんな感じでした(笑)。
入会の動機について
SPCとの出会いは、そんな日々を送っていた28歳のときでした。地元の理容組合の人からセミナーに誘われたのが最初です。SPCについての予備知識がなかった私にとって、セミナーはまったく場違いなところでした(笑)。会員の皆さんは自信に満ちていて、売上額も一桁多い次元の違う会話が飛び交うなかで、ただ圧倒されました。
続いて懇親会の席にも参加させてもらったのですが、そこでも熱く語る先輩の会員さんに「お前、男前やから大丈夫だ」と、理由になっていない勧誘をされまして、自分でも男前だから大丈夫かもしれないとその時は思いまして(笑)、思わず「入ります」と答えてしまったのです。
まぁでも本来がそういう流されに流されて来た人間ですから、SPCのメディアモーダ会員になったからと言っていきなり人が変われるわけでも無く、入会して4年くらいは会議に出るのは、もっぱら飲み会に行く感覚でした(笑)。やがて父が引退して私一人で店を回すようになりましたが、売上にも無頓着でしたし、お客さんが居なければいつも通りスポーツ新聞を読んで、バイトスタッフと店でスーパーファミコンをしていたほどの駄目っぷりでした。
そうしましたら、ある日、私の店にSPCの先輩が急に車で現れまして、「よし行くぞ!」と。よくわからないままに連れ出され、いきなり物件探しに連れていかれたのです(笑)。先輩からはいつまで田舎の理容室でくすぶっているんだと、あまりに私が流されるままなので、先輩がしびれを切らしてくれたみたいで。その時に見つけた土地に美容室を開業するのですが、それが河内長野の今のお店、Super Sonic(スーパーソニック)です。ちなみにその立地について先輩は「やめておけ」と言われたのですが、当時の私は和歌山の人通りの少ないと実家と比べれば人がいっぱい歩いていまして大丈夫だろうと思い込みまして(笑)。しかし先輩は偉大なもので、やっぱり店を出してしばらくは順調に行かないわけです。借金して出店したものですから、これは変わらないとだめだという意識が芽生えまして(笑)。環境を変えて頑張ろうと、SPCの正会員にしていただきました。
SPCでの活動の軌跡
35歳でSPCの正会員にしていただいたのですが、先輩からは「正会員になって1年で変わらないようなら辞めたほうがいい」と叱咤激励されまして(笑)。本当に多くの先輩や仲間から影響を受けながら、経営者として意識も変わり始めました。攻めの姿勢で2店舗目、当時流行していたストレートパーマの専門店を出しまして、それが大当たりしました。借金をどんどん返せるようになって、その勢いで3店舗目では40坪の大型店に挑戦しました。流石に3店舗も美容室経営を行うと、実家の理容室まで目が届かなくなりまして、39歳でそっと実家の理容室を閉じまして(笑)、さらに4店舗目を出して現在に至ります。
正会員になってからは役職もいただきました。最初は、和歌山県の通商部長です。その後は細かく言えば県の総務、本部長などもありますが、関西の執行部としては、関西統括の理美容選手権、今のスタイリングコレクションの関西地区大会ですが、その実行委員長をやらせていただきました。37歳の頃だったと思います。そこから関西統括の青年部長、メディアモーダ部長、組織部長、総務部長兼副会長をそれぞれ2年間歴任して、そのあとに関西統括の第16代会長にしていただきました。SPCでの役職の経験によって、今の私が作られたと思います。理美容業界に貢献するという自覚も生まれました。また、こうあるべきという自分自身のスタイルに対する、ぶれない考え方ができるようになったと思います。
SPCに入会してから一番嬉しかった事
「一人ひとりの可能性の扉をひらく」が、私の掲げているテーマです。今の姿からは想像できないと良く言われますが、本性は人見知りでして(笑)、お客様と接する仕事には向いていないと思った時期もありました。そんな私の可能性をひきだしてくれたのがSPCとの出会い、先輩や仲間との出会いです。
後輩たちにも、いくつもの可能性の扉が待っています。それぞれの可能性をどんどん切り拓いていってもらいたいですし、様々な場所で彼らと関わることが私の喜びとなっています。嬉しいことは多すぎて何かこれと言えないのですが、若い人たちの成長していく姿を見ることが、今は何より嬉しいです(笑)。
SPCに入会してから一番苦しかった事
SPCの活動で苦しいと思ったことはあまりなくて…一番苦しかったのは、美容室の1店舗目をオープンさせてから軌道に乗るまでの間ですね。先輩たちに猛反対された物件だったのに自分の判断でオープンさせたものですから、引くに引けずギリギリの生活を(笑)。
ですが、見かねた先輩からのサポートもあって嬉しかったですし、なんとかしないといけないので、SPCの会議から成功のヒントを吸収しようと必死でした。私にとって初めて味わった産みの苦しみでしたが、それで成長できたので、私の中では結局は嬉しかったことになっています(笑)。
今後の活動への抱負
常に考えているのは、今後自分が周囲の人たちや後に続く後輩たちにどういった良い影響を与えていけるだろうかということです。
私も先輩や周りの人に支えられて今がありますし、それを後輩や今自分の周りの居てくれる人たちに返していきたいと思っています。出会えて良かった、この会社に入って良かったと思われるように、良い影響、良い環境を残したいです。
私が先輩から受けて感謝しているように、私が良い影響を誰かに与え、それが更に引き継がれていく、抱負としては抽象的かもしれませんが、そういう事に興味があります。突き詰めれば人財育成と言えるのかもしれませんが、それが結果として50年、100年と続いていけば素晴らしいと思います。