先輩の声

目に見えないものを伝えていきたい

阪本 成生

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SPCへの入会前の状況

和歌山で美容室を経営している阪本と申します。SPCにはMM会員であった5年も含めれば24年になります。よろしくお願いいたします。
僕の場合、高校を出ていきなり美容業界に入ったのではなく、いったんサラリーマンを経験しています。実家が散髪屋で、自宅の1階で父が4坪の理容室をやっていました。田舎なので近所のいろんな人に気を遣いながら、休みなく働く姿を見て育ったので、最初はそんな仕事に反発して家を出たのです。
ところが不思議なもので営業マンの経験を活かして商売をしたいと考え始めたときに、嫌っていた家業に目が向きました。脱サラをして家業を継ごうと理容専門学校に通い出したのですが、その年に父が他界しました。母は当時、小学校の用務員として働いていましたが、理容師免許を持っていたので、しばらくは一人で店を回してくれました。専門学校卒業後は父が決めてくれていた就職先に半年お世話になり、実家に戻り母と共に店に立ちました。当時の和歌山にはSPCはありませんでしたし、その時点ではSPCのことは存在すら知りませんでした。

入会の動機について

そんな田舎の環境の中で、6年ほど小さな散髪屋をやりながら、地元同業者の勉強会に入れてもらって学んでいました。その時の仲間2人とSPCに入会したんです。きっかけは、「経営の勉強をしませんか」という関西統括からのDMでした。技術でもなく、営業でもなく、経営のセミナーということで、おもしろそうなので3人で聞きに行きました。
その頃の僕らの感覚で言えば、地元の組合で50歳ぐらいになったら先生と呼ばれて、2人くらいスタッフがいたら大成功。ところがSPCのセミナーで出会った先輩たちは若々しく輝いていて、社員30人、50人、100人規模。こんな世界があるのかと本当に驚きました。
すごく魅力を感じながらも一方では怖いという持ちもあって、心は大きくゆれました。迷いながらも「入りたい」という気持ちは強く、みんなで渡れば怖くないとばかりに3人でMM(メディアモーダ)会員になりました(笑)。僕が28歳のときで、3人とも現在に至るまで欠けることなくSPCで活動を続けることになります。

SPCでの活動の軌跡

関西統括で先輩から教えられたことは、「仲間づくりの大切さ」と「自分の行動にブレがないか」。MM 会員の5年間は現在の僕の原点かもしれません。先輩たちは常にあこがれの存在で、僕も正会員を目指していたのですが、そこはハサミを置いて経営者としての環境を整えなければ踏み込めない世界。二の足を踏みながらも、ようやく正会員になれたのが33歳のときでした。
大阪本部で活動を始めた3年後に二府四県(京都・大阪・兵庫・滋賀・奈良・和歌山)にも本部ができました。和歌山でも事務所を持たせてもらって会議をするようになり、先輩の勧めもあって関西の執行部に和歌山本部から名乗りをあげました。関西執行部で副会長を5年間経験して、42歳で関西統括本部の会長に就任しました。
「物語は本部から」が僕のキャッチコピー。関西統括のような大きな組織では、一番小さい単位が本部。統括レベルで見れば端っこにいても本部の中では「張本人」になれます。一個一個自立した本部作りに力を注ぎ、予算など財務の基盤構築も行って各本部に事務員さんが入ることも実現しました。
44歳から2年間が組織副理事長。その時も本部が主体という思いは変わりません。定例会議を10人以上で出来るように10人まで拡大を目標に、達成したところは日本地図に色を塗っていきました。「物語は本部から」を全国に広げて、会員みんなが主役になれる場を作ろうとしていました。その後も道東本部担当として釧路で2年、函館本部で2年。52歳の現在は沖縄本部を担当。会員みんなが主役になれる場を作れるよう未だ道半ばで奮闘中です(笑)。

SPCに入会してから一番嬉しかった事

嬉しかったことは…自分の会社でもSPCと同じような組織作りが出来たことです。僕は、人が育つ風土作りを一貫してやってきました。「大家族主義」と「場を与えてくれる組織」はSPCから学んだことです。自社ではMM会員時代の32歳で2店舗目をオープンしてから、社員数50名まで増やそうと目標を立て、日々戦いのような生き方をしていました。それが50名を超えて、SPCとの関わりで言えば関西統括会長になった頃から、それまでの増え方と明らかに違ってきました。自然と人が集まってくるようになり、さらに人が辞めなくなったんです。SPCと同じですね。
僕が「おじいちゃん経営」と呼んでいる、経営のヒントを得たエピソードがあります。どういうことかとういうと…。日本人の学力が落ちている、愛国心が落ちている、モチベートが落ちている。でも、日本全国でアンケートを実施したら、秋田県のある学校がだんとつに良かったというんですね。それで取材に行ったら、校長は別に何の取り組みもしていないと言う。それでも何かあるだろうと探ったら、三世代家族が多かったと言うんです。大家族の中で、おじいちゃん、おばあちゃんは小さい子どもたちを大事にするし、子どもたちは年配者から多くのことを学びながら成長します。
この風土はSPCと一緒だと思いました。場を与えて成長するのを先輩たちが見守ってくれる。僕もSPCの文化を受け継いでいますし、自分の会社も「おじいちゃん経営」で自然に増えていった気がします。父が残してくれた4坪の小さ店から13店舗まで増やして、68名のスタッフが成長しながら活躍しています。
本当に嬉しいことです。

SPCに入会してから一番苦しかった事

関西統括でMM会員になった当初が一番つらい時期だったと思います。先輩からは厳しいことばかり言われて、悔しくて本部に行くのが苦痛で苦痛で(笑)。どうしたら成功するかを教えてもらえると思ってMM会員になったのに、それ以前に「人として曲がっていないか、ブレていないか」が重要視されました。定例会議でも1分間スピーチの内容の点検確認がメインで、行動とずれていると思ったら先輩や仲間からグサッ、グサッと厳しい指摘が飛んできます。その繰り返し(笑)。「拡大」の意味も分かっていなかったから、ダイレクトメールの郵送作業をしていてもやりがいを感じていませんでした。
大切なことを学ばせてもらっている自覚がなかった当時は、ただひたすらキツイ状況でしかありませんでしたね。あの頃のありがたさは、SPCで鍛えられたことが糧になっている今だから身にしみて感じます。

今後の活動への抱負

SPCの一員としては、信じて、信じて、信じぬいてきたらこうなるという目に見えないものを伝えていきたいですね。
SPCは勉強会もよくしますし、必要なノウハウもしっかり学べます。けれど、それだけではない、SPCならではの目に見えない部分、人として大切な部分を感じてもらいたいです。
自社ごとの抱負としては、やはり人材育成に尽きるでしょうか。経営者を目指す人材も育てたいですね。「死ぬ準備」と言ったら乱暴に聞こえるかもしれませんが、最終的には僕がいなくても会社が回っていくようにするのが目標です。「大家族主義」の「おじいちゃん経営」で、だいぶ出来てきたとは思っています。これからもトップダウンではない環境で、若い人たちが成長できる場を作り続けていきたいですね。